土佐清水を自由研究する地域研究紙≪アオサバラボ≫

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研究ノート

伊豆大島ジオパーク探訪記 ー火山ってすごい!ー 前編


この度、ご縁があって、事務局員の作田が伊豆大島ジオパークにお邪魔してきました。
伊豆大島は活火山の離島。
できたてほやほやのフレッシュな火山の大地に終始、圧倒。
一緒にまわってくださった伊豆大島ジオパークの臼井専門員の溶岩のごとく溢れ出るような火山愛に触れ、私もすっかり、頭の中は火山でいっぱいになって土佐清水に帰ってきました。
火山の魅力を多くの方に知ってもらいたい!ということで、伊豆大島ジオパークの探訪記を公開します。

まさに、生きている大地!伊豆大島ジオパークをご覧あれ。

伊豆大島ジオパークとは?

構成自治体:東京都大島町
面積:90.76㎢
人口:6,982人
〈2021年10月1日時点の情報〉

4〜5万年前に始まった海底噴火によって誕生した極めて若く活発な火山島。
日本に数少ない玄武岩の活火山で、特有の活動様式・噴出物・堆積様式を観察することができ、繰り返される噴火によるの真新しい噴出物は、火山活動のダイナミズムを直に伝えてくれます。
公式サイト
伊豆大島ジオパークMAP


土佐清水からのアクセス 

土佐清水 →〈車で150min〉→ 高知空港 →〈飛行機で90min〉→ 羽田空港 →〈電車もしくはモノレール&徒歩で約45min〉→ 竹芝客船ターミナル →〈高速船で105min〉伊豆大島ジオパーク


伊豆大島の火山の歴史(抜粋)

伊豆大島は、島そのものが火山。
島の全てが、過去の噴火が作った風景です。誕生してから数万年もの間、噴火を繰り返して姿を変え、今の姿を私たちに見せてくれています。

●100万年〜数十万年前 筆島火山の活動〜岡田火山の活動〜行者窟火山の活動
伊豆大島ができるはるか昔に活動していた3つの火山。活動を終えると、波や雨に削られていった。
●数万年前 伊豆大島火山の活動が始まり、ひとつの島となった。
〈100〜200年間隔で全島に火山灰が降ったり、溶岩が海岸まで流れたりするような大規模噴火が起こっている。〉
●約1700年前 山頂で大規模な水蒸気噴火、山麓で側噴火が起こり、山頂が陥没しカルデラが生じた。
●1777年〜1792年 安永の大噴火
大量の溶岩が溢れて、当時の谷に沿って海岸に達した。カルデラ中央部に火口丘である三原山ができた。
〈明治以降は35〜40年の間隔で中規模噴火が発生〉
●1950〜51年 火山噴火。大量の溶岩が流出して三原山を流れ下り、カルデラ壁に達する。
●1986年 火山噴火。山頂火口から噴火が始まり、溶岩が流出したのち、割れ目噴火が起こる。溶岩が市街地周辺にまで迫り、全島民、約1ヶ月間の島外避難となる。
(伊豆大島ジオパークジオストーリーブックを基に作成)


プロローグ

ことのはじまりは、伊豆大島GPの臼井専門員から、作田が思うジオパークのおもしろさを伝えてほしいと、伊豆大島GPのジオパーク講座の講師を依頼してくれたのでした。

本当は、行く先のことをしっかり予習していくべきなのですが、講演などということに慣れていないため、あれこれ、話のネタを準備することや日頃の業務に忙殺され、伊豆大島のことはほとんど予習することなく、出発。(伊豆大島の皆さん、すみません!)
そして、私はおそらく、いまだかつて火山というものを間近で見たことがなく、火山というのはテレビの向こうにあるものという認識の火山レベル0の状態で伊豆大島ジオパークへ向かいました。(四国に火山は無いといえど、ジオパーク担当者として、これではいけませんねぇ…)


初日

東京竹芝埠頭から、ジェット船に移動。
伊豆大島ジオパーク推進委員会事務局の皆さんのお迎えにより、車で役場に移動。港から都道に出るまでものすごい急な斜面を登っていくという、かつて見たこのないような地形で、「火山の島に来たんだな〜」ということを実感しました。

都道沿いには伊豆大島らしくツバキの街路樹が植えてあって、南国っぽいソテツなどの植物もちらほら見られました。

三原山.jpg

そして、三原山を詣でに行き、3日間よろしくとご挨拶。
写真はカルデラの縁の部分にあたる外輪山から。火口付近からドロドロと流れ落ちているのは1986年の噴火で流れ出した溶岩。

この後、夕方の講座を無事終え、翌日からじっくり伊豆大島を見てまわります。
(講座には、大島の老若男女、様々な方々が40人ほどいらっしゃっていました。伊豆大島GPの皆さんの熱意にびっくり。土佐清水も頑張らねば…)

今回案内していただいたお二人

伊豆大島GP_臼井さん.jpg
臼井里佳さん

伊豆大島ジオパークの専門員で火山愛好家

私は伊豆大島に来るまで、臼井さんのこと、火山の専門家で研究者だと思っていたのですが、元々は違う分野の仕事をしていたそう。前職で火山防災系のコンサル的な仕事をしていて、そこから火山にのめり込んだという経歴の持ち主。
火山のことを話しだすと、火山愛がマグマのごとく溢れ出てくる。

nishitani11.jpg
西谷香奈さん
日本のジオパークを代表するプロフェッショナルなジオガイド。
元々はダイビングのガイドをしていたらしいが、今は陸のガイドをしていらっしゃいます。ガイドならではの自然に対するキラキラした眼差しを持ってる方。

2日目 雨の日の幻想的な風景を歩く

この日は、ジオパークを代表するプロフェッショナルなジオガイドの西谷香奈さんのジオツアーで三原山と裏砂漠を堪能するはずが、天気はあいにくの雨…

しかし、そこは、長年ジオガイドとして活躍する西谷さん。
「雨の日ならではの景色を楽しもう!」という作戦で、裏砂漠へ向かってハイキング。

木漏れ日トンネル.jpg大島温泉ホテルから出発し、「こもれびトンネル」の中をジャブジャブと水溜りを渡り、「いつか森になる道」を進んでいきます。
溶岩が流れてできた大地の上に生きる植物の移ろいを感じながら歩くことができます。
こもれびトンネルのあたりは江戸時代、安永の大噴火(1777~1792)のあとにできた低層の森が広がります。
「いつか森になる道」のあたりは、1986年の噴火で溶岩が流れ出たあたり。ここはまだ、森になる前、木々がまばらに生えている風景が続きます。

キノコ.jpg苔の中にかわいいキノコを発見。雨の日の森はしっとりしていて、そこに生きる植物や菌類などもいつもより艶っぽく見えますね。

そして、溶岩が作り出した奇岩が点在する「ジオ・ロックガーデン」に。
ジオロックガーデン.jpg霧の中に浮かぶ奇岩が、モンスターみたいでファンタジー感がありますね。

この辺りは1986年の噴火のときの「割れ目噴火」で降り積もったマグマのしぶきが、地表を流れる溶岩流に運ばれながら、変形して、1日足らずでこの奇岩の風景を作りあげました。
土佐清水の人にとって、奇岩といったら竜串・見残し海岸の奇岩↓。

スマホ竜串6.jpg竜串・見残しの奇岩は、約1700万年の歳月が作りだした奇岩ですが、こちらの溶岩の奇岩はわずか1日で、この風景をつくりだしたのです。
しかも、この奇岩たち、年齢も私とほぼ同じ。
人間の世界では、私なんかはもう中堅どころですが、地球時間に換算すると、今まさに産声をあげているところというフレッシュさです。
なんとなくですが、私はジオパークにかかわるようになって、古いのがエライみたいな認識があって、土佐清水にはない◯億年前の大地とか聞くと、うお〜スゴイ〜って思っていました。

しかし、そんなことはない。
今、まさに生まれているというフレッシュでピチピチの大地もスゴイのである。というか、大地に古さの序列などない。みんな違って、みんないいのだ。
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そして、裏砂漠・風の丘へ。
ここは、噴火の度に細かい溶岩の粒や火山灰が降り積り、黒い砂漠となった場所。
強い風の通り道で、植物の種や芽生えを吹き飛ばしてしまうため、黒い砂漠のような光景が保たれています。

裏砂漠.jpg

何も見えない…
すべての境界線が曖昧。
手前に写っているのはシャボン玉。
風速を体感するため、ガイドの西谷さんがシャボン玉を飛ばしてくれたのですが、一瞬で遠くに飛んでいってしまいます。

スコリア.jpgこのあたりは、写真のようなスコリアと呼ばれる火山噴出物でできています。緑の葉っぱは芽吹いたイタドリ。この辺りは、まず、ちょっとした風を遮る石の影などにイタドリが生え、小さなコロニーを形成、その後、ススキが入ってくるという順番で植物が再生していくようです。
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そして、「作田さん、こんな雨の中だけど、寝転んでみない?」と西谷さんに促され、裏砂漠にゴロン。

裏砂漠2.jpgスコリアは空気の穴がたくさん含まれているため、軽くてふかふか。寝転んでも全然背中も痛くないし、こんな雨の日でも全く汚れない。
しかも、ガラスが混じっているからか、踏み締めると、ジャリジャリと少し澄んだ音がして、歩くのが楽しい。
この後、西谷さんが持ってきてくれた明日葉茶とおやつでエネルギーチャージをして、「ジオ・ロックガーデン」→「いつか森になる道」→「こもれびトンネル」を戻ります。

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「こもれびトンネル」の途中から樹海に入っていきます。
この辺りでは江戸時代の大噴火の時の溶岩の様子を見ることができます。

イヌツゲ.jpg雨の日の樹海も幻想的。
モンスターに出会いそうな雰囲気ですね。
クネクネの木はイヌツゲ。刈り込みに強いため、街の中では、生垣や庭木に用いられていますが、森のイヌツゲは様子が違います。イヌツゲのクネクネが時空の歪み感を醸し出しています。

溶岩トンネルのあとを進みます。
溶岩トンネル.jpg溶岩トンネルは伊豆大島のような玄武岩質の溶岩が、粘り気が小さく流動性が高い時に溶岩流の内部にできやすいトンネル状の構造です。
流れ出した溶岩の表面だけが冷えて固まりますが、内部はまだドロドロの状態。ドロドロの部分がそのまま流れ去り、トンネルのような空洞ができます。ここも元はトンネルだったのが、上部が崩れ、今のような形になったと言われています。

そして、樹海を抜け、集合場所だった温泉ホテルまで戻り、この日のツアーは終了。
少し肌寒く、1日中雨ふりでしたが、雨の日ならではの体験、雨でないと見えない景色を見せていただきました。

また、この日はツアーの前に臼井さんの案内で、火山博物館も見学させていただきました。
1986年の噴火当時のリアルな様子がわかったり、世界の火山のことがわかったり、この時まだ火山レベル0に近かった私にはよい勉強になりました。

ちなみに、これまで積極的に火山のことを調べたことはなかったのですが、この日は火山のこともっと知りたいという欲求が高まり、YouTubeで火山のお話を聞きながら眠りにつきました。


《おまけ》ジオな食べ物
大島牛乳とアイス

雨の中歩いた後は、御神火温泉にてひとっ風呂。
お風呂上がりに、大島牛乳とアイスをいただきました。   伊豆大島では、町営の牧場があって、「大島牛乳」という会社が牛乳や関連商品を作っているらしい。
パッケージがかわいいですね。
堂々とそびえる三原山と真っ赤なつばきが素敵。

お味は牛乳もアイスも純粋な牛乳というかんじのスッキリとした味わい。おいしかったです。

牛乳にまつわるジオな話

大島は、かつて「ホルスタイン島」と呼ばれたほど乳牛がたくさんいた島らしい。
でも、どうして、伊豆大島に乳牛がたくさんいるのか?
その始まりは、塩作りのお手伝い。
江戸時代、伊豆大島に課せられていた年貢は米ではなく、「塩」でした。
というのも、若い火山のこの島は水捌けがとてもよく、川もないため、水はとても貴重で、水田を作ることができない環境だったためです。
しかし、塩作りは重労働。
そこで、運搬の使役のために伊豆半島から牛や馬を連れてきたのです。
その後、明治時代に役牛から肉牛生産に移行。さらに明治33年、酪農の振興を図ろうと島にホルスタイン種が持ち込まれました。各家庭で数頭の牛がいるほどホルスタインは増え、家族の一員のように大切にされていました。
牛たちは、潮風に吹かれて育つミネラル豊富なアシタバなどの青草を食べ、スクスクと育ち、酪農は伊豆大島を支える一大産業となったのです。

その後、この現在の大島牛乳ができるまでの道のりなどはこちらをご覧ください。
一度、島で絶えてしまった酪農を再び復活させるまでのお話が紹介されています。
地域の大切なものを守るためにはたくさんの人の情熱が必要なのです。

このほか、伊豆大島のジオな名産品については素敵なサイトがあるので、ご覧ください。
→ 伊豆大島ジオパーク認定ブランド


翌日は、快晴の中、お鉢めぐりなど、火山を堪能!
後編もはこちら