土佐清水を自由研究する地域研究紙≪アオサバラボ≫

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研究ノート

鹿島のみどころマップ

地元の人でも意外と知らない人が多いのですが、清水港に浮かぶ「鹿島」は、上から見ると可愛らしい瓢箪のような形をしています。
昭和40年代の埋め立て工事で地続きになり鹿島公園が作られましたが、かつては塩通しの良い離島でした。
野球場と同じくらいの大きさの島内には、「鹿島神社」と「天満宮」「本清水神社」「大山祇神社」の4つの神社が鎮座しています。
島全体が鎮守の森として手厚く保護されており、市街地にありながら、古くからの豊かな森が残されています。

島をぐるりと巡っても徒歩5分程度。現在の清水市街地の基盤となっている地層を間近で観察することができる露頭(②)、かつて漁船の修理に使われたドック跡(④)、江戸時代に設けられた砲台跡(⑧)など、太古の地球の記憶からおじいちゃんおばあちゃん世代が子どもの頃に見たであろう風景の面影まで・・・鹿島はいろいろな時代へとタイムトリップを楽しめる場所なのです。

鹿島神社の桟橋から港を隔てた向こう側には、朝から夜までせわしなく動き続ける漁師町らしい街並みが広がっています。
さぁ、清水のオアシス、鹿島さんぽにでかけてみよう!

下の『鹿島のみどころマップ』を見ながら、ぐるりと鹿島を回ってみてください。

鹿島見どころマップ_WEB1000.png

① 参道
② 露頭
③ 大山祇神社
④ 漁船のドック場
⑤ 神輿船の桟橋
⑥ 鹿島神社入口
⑦ 鹿島神社
⑧ 砲台跡
⑨ 鎮守の森

参道

鹿島みどころ_参道入り口.jpg参道の入り口。瓢箪島のくびれ部分が参道となっている。
大きなヤマモモやイヌマキの木が参道に木陰を作り、スンとした空気が流れる。
鳥居の横にある看板にこの鹿島神社の謂れが書かれているので、ぜひ、読んでみて。

露頭

鹿島みどころ_露頭.jpg露頭とは、地層や岩石が剥き出しになった場所。
ここでは市街地の地下にある地層が観察できる。
浅い海に砂や石ころが何度も運ばれてできた地層で、よく見ると生き物の巣穴や這い痕が化石となった「生痕化石」も見られる。
詳しい解説は、こちらをご覧ください。

大山祇神社

鹿島みどころ_大山祇神社.jpg島北部の頂にある神社。
かつては市街地の高台(今の清水ヶ丘)にあったが、都市計画のため、1997年に鹿島に移された。
ささやかではあるが、年に3回、氏子たちによるお祭りも開かれている。

漁船のドック場

鹿島みどころ_ドック場.jpg浜辺に見られる人工物は、かつて漁船のドックに使われていたもの。
満潮時に船を揚げ、干潮になると防虫効果があるコシダの葉を船底で燃やし、フジツボなどを除去した。

神輿船の桟橋

鹿島みどころ_神輿船の桟橋.jpg鹿島神社大祭では、ここから神輿を船に乗せる。対岸には清水の街並みを望む。
海鳥の鳴き声や漁港のサイレンなど漁師町の息遣いが聞こえてくる。

鹿島神社入口

鹿島みどころ_鹿島神社入り口.jpg石段や狛犬、手水鉢などの石材に注目して見よう。これらの石造物の多くは柔らかくて加工しやすい砂岩からできている。
石の特徴から、古くから採石場があった三崎地区で採られた石のようだ。

鹿島神社

鹿島みどころ_鹿島神社.jpg鹿島という名は、茨城県にある鹿島神宮に由来する。1473年、時の豪商、鍵屋嘉右衛門が常陸国鹿嶋浦より勧請した。
もとの社殿は浜際に作られていたが、宝永4年(1707年)に宝永地震の津波によって流出したと言われており、現在の場所に移転した。

砲台跡

鹿島みどころ_砲台跡.jpg清水港は黒潮を通る航路の中継地点として発展してきたこともあり、度々外国船が漂着した。
ここにあるのは、文政8年(1825年)、幕府の「異国船打払令」によって作られた堀切状の壕だが、現在では確認できず。

鎮守の森

鹿島みどころ_鎮守の森.jpg島全体が神域として保護されていたことで今も豊かな植生が残る。多種多様な植物が織りなす美しい風景は、土佐清水の風土と人々の関わりの中で育まれてきた。