研究ノート
足摺海洋館をふり返る 飼育員の下田さんインタビュー(完全版)
創立以来45年にわたり「土佐の海と黒潮の魚たち」をメインテーマに運営してきた足摺海洋館。2020年7月18日に新・足摺海洋館SATOUMIとして生まれ変わった。
旧館の閉館を間近に迎えた昨年12月に、海洋館を支えてきた飼育係の中で最も長く勤務し、さまざまなご経験をされてきた下田さんにこれまでの印象深いできごとを語ってもらった。
旧館のスタッフルームでのインタビュー(2019年12月)
海洋館の飼育員になるまで
■下田さんは、土佐清水の出身ですよね。海に囲まれた環境で、小さい頃から水族館で働きたいと思っていたのでしょうか?
そうは思っていなかったですね。おやじが船を持っていて、よく漁に一緒に行っていました。海に行くのが普通だったんだね。じいさんの代から漁師をやっていて、物心ついたころから海を好きにならざるを得なかった。
大学で海の生き物について学んだ後、水族館で働きたかったけど、採用がなくてね。それで、一年間愛媛県の食品会社で働いていました。その途中、地元の知り合いから海洋館に退職者が出たのでどうか?と話が来たので、すぐに帰ってきて勤めました。
海洋館のシンボル マンボウの飼育
■下田さんといえば、マンボウの飼育ですよね?
マンボウは、海洋館では昭和62年ころから飼育をスタートしたと思います。
当時、まだ終年飼育ができていなかったので、先輩たちがマンボウ飼育をやっていた他館にどういう水温帯で飼うとか、水質はどうとか、ノウハウを調査して手書きで記録していました。各園館バラバラだったので、いろいろ参考にしながら今の餌になりました。
冬場にちょうど寒ブリが来るころ、水温が18℃前後の時に定置網に入ってきていたので、そのくらいの水温帯で飼育していますね。私が入る前には、大水槽で冬場の1カ月くらいだけ特別展みたいな感じで飼っていたことがあったみたいです。他の魚にかじられたりして、長期間の展示はできなかったようですが。
■マンボウにはどんな餌をあげるのですか?
当時は、よくマンボウを解剖して、食べているものを調べていました。
飼育を始めた頃は、他の園館では小さなイカをやったり、エビのミンチに繊維質のキャベツを混ぜて、それに栄養剤を入れたりしていました。当館でも試してみましたが、栄養剤を入れると異常に太る。
マンボウの腸の中には寄生虫がたくさんいるんですよ。条虫が成長しすぎてカップラーメン一杯くらいになっていたこともありました。条虫が成長しすぎると便が出なくなるんです。腸に詰まって大きくなりすぎて。
自然界ではエビとか甲殻類を食べるんで、最初の頃はブラックタイガーのミンチをあげていました。
彼らは美味しいものはちゃんとわかるんですよ。魚のミンチと、エビやイカのミンチをあげると、エビ、イカを好んで食べます。それで、魚のミンチは吐き出します。
ミンチにしたものを手でおにぎりみたいに丸くして、給餌棒の先に付けてあげています。給餌棒を入れたら餌をもらえると認識するように初めは訓練します。
あとは、自然の状態でいかに排便できるかがポイントですね。
水槽の大きさによっても運動量が違うので、エサの量も全然違うんです。マンボウのお腹にしわができない程度に、餌をあげます。だいたい体長70cmの個体だったら、一日300gくらいエサをあげたら痩せない。今は、甘エビとイカのすり身のミンチをあげています。いかに、便秘にならないか、がポイントです。
➖マンボウにも栄養剤などの薬を使うことがあるのですね。
当時、虫下しを使ったこともありますよ。動物用のやつを薄めて使ったけど、効きすぎてよくないと思いました。やっぱり自然の状態が一番。
栄養剤も効きすぎて、よくない。人間の勝手な思いだけで、薬を使ったりするのはあまりよくないね。
■マンボウの調子が悪い時はわかるものですか?
腸の具合が悪かったり、内臓に問題があると壁に衝突するんですよ。ぶつかったままバタバタしている。水質が悪くても、そうなります。
■マンボウの長期飼育に励んでいた1990年代、飼育記録はどのくらいだったのでしょうか?
971日が最高です。
当時全国の園館の中で10位以内には入っていたと思います。
今ではもう1200、1300日の世界だけどね。
971日の記録を出した頃は、1000日をめざそうということでやっていました。マンボウが太りすぎて体長160cmくらいになりまして、体高も145cmくらいになって、もうこれ以上は飼えない、となった。水槽が狭くなって中で回れなくなってしまったんです。
■彼らは、泳ぎが下手な生きものなのですか?
いや、下手じゃありません。自然界では速いですよ!
背びれとかじびれを使って、全速力で泳ぎます。突きん棒漁の船に乗っている人に話を聞いたことがありますが、27ノット(時速30km近く)で走る船より速く逃げていったと聞いたことがある。
本気を出せばすごいんです。
■マンボウの飼育が難しいというのは、どういった点からですか?
非常にデリケートな生きものなんです。
当時はマンボウ用のビニールシートもなくて、お客様がフラッシュをたいたりするとビックリして壁にぶつかったりしていました。なので、ブルーシートを張ったりして、衝突防止をしていました。
他館では、どこも透明のビニールシートを使っていましたけどね。
■ずばり、マンボウとはどんな生きものですか?
二面性のある魚ですね。
天井に穴を開けられたこともあったよ!
68cmくらいのマンボウだったけど。のんびり屋さんに見えて、結構思いきったことやるよね。
自然界では体表の寄生虫を落とすために水面から思いきりジャンプするからね。あの時は驚いた。
それと、ストレスを感じると黒い斑点、蕁麻疹みたいなのが全身に出るんだよ。人間が掃除に入ったり、身の危険を感じると、特に腹側の方に出るね。壁にぶつかりそうになった時は、眼瞼というのかな、目ん玉を奥に引っ込ませたりもするよ。
旧館の思い出を振り返る
■大変だったなぁと思うできごとは何ですか?
入社当時、おもしろ自転車というのがありました。あの管理は大変だった。飼育業務もあるので、みんなで交代で餌を作ったり水槽の掃除をしたりしながらで。お客さん同士が自転車の取り合いになったり、ぶつかってケガをしたり、自転車の修理や安全管理もしなきゃでとにかく大変だった。特に、土日、夏休みがね。自転車は、20種類くらいあって人気だったんだけど。迷路やゴーカートが流行っていたバブルの頃だからね。まだ子どもがたくさんいた時代でしたね。
それから、園地が広かったので、芝生の管理も大変でした。当時は、手刈りでやっていたからね。飼育以外の仕事が半分以上あって、忙しかった。何か壊れたら、自分たちで修理していたしね。水槽を修理したり、アクリルをつなぎ合わせて六角形のクラゲ水槽を造ったり、いろんな技術を磨くためにいろいろやったよ。
■嬉しかった思い出は?
お客さんが喜んでくれる姿が一番嬉しいですね。シノノメサカタザメや大水槽を見て、おお、すごい!とか、小さな珍しい生きものを見て、喜んでくれることが一番です。
■海洋館では、近年イベントにも力を入れていましたよね。特に印象深いイベントを教えてください。
夜の水族館でしょうかね。もう10年くらい続きますが、水中ダイバーがサンタの衣装を着てジャンケンするだけで、子どもたちはすごく喜んでくれるもんね。イベントといえば、海洋館が存続するかどうかという時はいろいろあったね。
当時入館者が年間4万人台に減って、存続が危ぶまれたんですよ。
それで7、8年前にとにかくイベントをやろうということになったんです。松尾のさえずり屋さんや三崎の農業婦人部や爪白の婦人部の方にも出店してもらって、GWなどは周りを巻き込んだイベントをしようと。県の支援員の方も協力してくれました。それ以降、さえずり屋さんもよく協力してくれるようになってね。
あの頃は、イベントの強化と年パスの販売をがんばりましたね。県庁や市役所に営業にいったりして、徐々に入館者が5万人くらいになってきて減ることはなくなりました。
それで、新館オープンに至ったことが嬉しかったことですね。新しいスタッフも来てくれて嬉しいです。一時は、もうみんなで転職しなきゃ、ってその覚悟だったもんね。スタッフの家族も手伝ってくれて、一丸となって乗り越えてきました。あの時が一番苦しかったね。飼育のスタッフも2、3人くらいしかいなかったし。一ヶ月に2、3回しか休めないこともあったから。
地域の方の協力もあって、ここまで来れましたね。
■2001年の西南豪雨(※)の時は被害はあったのでしょうか?
その日は、夜中2時か3時ころ、停電で呼び出されたんです。
まだ清水の方は雨がぽろぽろ、雷は鳴っていたけど、停電だけだろうと思っていたら、益野の林道の入り口付近の坂からすごい雨になった。益野の田んぼの辺はタイヤが半分くらい浸かるようになって。ビックリして、玄関の方に行くと川のように館内へ水が入っていました。中は水浸しになっていて、とてもショッキングな光景でした。
大水槽の周りに排水口があったので、そこへ水が流れていましたね。こりゃ一人じゃなんともならんと思って、飼育係の京谷くんを呼びました。
自家発電機の近くの天井から雨漏りしていて、電気室に降ったら大変だった、ぎりぎりのとこだったね。それで、全部水を掻き出して…その日の昼までずっと、京谷くんと二人で、足が立たなくなるまで必死で作業していました。
それから、結局2日間、休館になったかな。毎日、カップラーメンか焼きそばを食べてたよ(笑)
あれにはビックリしたね。とにかく、水族館は無事でよかったよ。
※2001年西南豪雨災害
2001年9月に高知県西部で起こった豪雨災害。土佐清水市では特に、下川口地区で大きな被害を出した。
大水槽の人気者、シノノメサカタザメ
■マンボウと並ぶ人気者、シノノメサカタザメについて教えてください。
私が入った頃には、常時大水槽に2匹入っていましたね。2匹いると、なかなかの迫力ですよ。餌をやる時には、攻撃されるから気を付けないといけない。一匹にあげていると背中の方からもう一匹がドンッと来たりして、大変だったよ。
シノノメはなかなか餌付かない魚なのですよ。
ダイバーがまず口の中にカニを押し込むと、それを吐き出して、また繰り返し押し込んで、とやっていると、カリッと噛む瞬間がある。そうなれば結構いけます。
だんだん人慣れしてきて、人間はうまいものをくれると認識するようになります。
最初は食べるのを渋っていたシノノメも、一週間あったら、腹が減ってきますんでね。ガリッとカニを一度噛んだらもう次の日からOK。個体差はありますがね。
足りない時は、ダイバーのくるぶし辺りを噛んでアピールしてくることもあります。餌くれサインなんですね。
■シノノメサカタザメは新館に移動するのですか?
移動させるけど、すっごく大変だよ!人海戦術で、エサでつって水面まで誘導し、それで担架に収容して運ぶ予定です。4、5月になるかな。
新館オープンに向けて
■今の海洋館の閉館は寂しいですが、新館オープンは楽しみですね。生物収集が始まったとお聞きしましたが?
窪津漁港に生け簀を設置して、清水さば(ゴマサバ)やアジ類、サメ、エイの仲間を畜養しています。
新館では、清水さば等の群れる姿をお見せできればと願っています。
常に試行錯誤しながら新しいことに挑戦ですね。
それと、新館は深海水槽があるので、室戸と清水の漁師さんにお願いして、両方から集めて、準備を進めています。
■聞くまでもないかもしれませんが、思い出の生き物を教えてください。
シノノメサカタザメとマンボウ。やはりこの2トップですかね。今いるシノノメは、2006年に以布利から来たオスですが、まだ大きくなるでしょうね。新館に行ってからも元気に泳いでほしいですね。
profile
下田敬勇(しもだ けいゆう)
昭和40年土佐清水市生まれ。東海大卒。
平成元年1月から足摺海洋館の飼育係として勤務。